巨星墜つ、健さん逝く
高倉健さんが逝ってしまった。
剛毅木訥、律儀、誠実、純朴、母親思い。
銀幕にあっては、隠忍自重の末の殺気漂う凄みのある佇まい。
孤高のもののふの体現者。
その実、饒舌で茶目っ気ある優しさ。
何十年もの間、その立ち居振る舞いに微塵も不格好さはなく、その姿は凛として美しかった。
瑞穂の邦の男子がとるべき立ち居振る舞いの究竟であった。
我が身を省みるに幾ばくも近づけないまま、健さんは去った。
平成26年11月10日、高倉健、永眠。
ご冥福を祈るのみ。
剛毅木訥、律儀、誠実、純朴、母親思い。
銀幕にあっては、隠忍自重の末の殺気漂う凄みのある佇まい。
孤高のもののふの体現者。
その実、饒舌で茶目っ気ある優しさ。
何十年もの間、その立ち居振る舞いに微塵も不格好さはなく、その姿は凛として美しかった。
瑞穂の邦の男子がとるべき立ち居振る舞いの究竟であった。
我が身を省みるに幾ばくも近づけないまま、健さんは去った。
平成26年11月10日、高倉健、永眠。
ご冥福を祈るのみ。
tag : 高倉健
立川談志、逝く
私は、ずっと立川談志が好きではなかった。選挙に出た頃は、寧ろ嫌いであった。
子どもながらに、政務次官があんな風でいいはずがない、と義憤すら覚えていた。
しかし、よくよく思い返してみると、一度も彼の落語を観たことも聴いたこともなかった。
二十数年前の或る日、たまたまラジオから彼の落語が流れてきた。「二階ぞめき」であった。気が付くと、ラジオの前に座り、身じろぎもせずに聴き入っていた。
その後は、氏の落語は機会があれば観た。印象深いのは「黄金餅」である。これは二度、TVで観たことがある。まさに奇才と呼ばれる所以を知りうる演目である。
十数年前、深夜TVで立川流一門の落語中継が毎週あった。番組の最後に氏が高座に上がるのだが、時折、立川志らくらが再び現れ、「師匠は、今日も来ておりません。師匠! これを見たら直ちに来るように」なあんて呼び掛ける回も。
惜しむらくは、氏の高座を生で観たことがなかった。
「だんしがしんだ」………立川談志師匠のご冥福をお祈り致します。
子どもながらに、政務次官があんな風でいいはずがない、と義憤すら覚えていた。
しかし、よくよく思い返してみると、一度も彼の落語を観たことも聴いたこともなかった。
二十数年前の或る日、たまたまラジオから彼の落語が流れてきた。「二階ぞめき」であった。気が付くと、ラジオの前に座り、身じろぎもせずに聴き入っていた。
その後は、氏の落語は機会があれば観た。印象深いのは「黄金餅」である。これは二度、TVで観たことがある。まさに奇才と呼ばれる所以を知りうる演目である。
十数年前、深夜TVで立川流一門の落語中継が毎週あった。番組の最後に氏が高座に上がるのだが、時折、立川志らくらが再び現れ、「師匠は、今日も来ておりません。師匠! これを見たら直ちに来るように」なあんて呼び掛ける回も。
惜しむらくは、氏の高座を生で観たことがなかった。
「だんしがしんだ」………立川談志師匠のご冥福をお祈り致します。