「歴史認識」の憂鬱
~序章として~
「歴史認識」という言葉が日本のメディアに頻繁に登場し始めたのはいったいいつ頃であろうか。この言葉を聞いた当初から何とも居心地の悪い、奇妙な表現だと違和感を感じ続けてきた。
歴史は事実それ自体ではない。事実をいくら羅列したところで、歴史にはならない。如何なる事実を選び取るのか、選び取った事実を如何に配置するのか、そこに如何なる解釈を加え、如何なる意味を与えるのか。それら一連の過程が事実を歴史たらしめるのである。歴史を叙する者の目的や必要性が価値の判断基準となり、それらを貫く。その基準の中核をなすものを歴史観と呼ぶことになろうか。
ともかくも、歴史そのものが、まさに認識の所産である。認識が事実を歴史に変えるのである。
もちろん、事実は真実でなければならないが、歴史的事実は複雑極まりないあまたの側面を有し、それら全てが真実であることを確証することは容易ではない。歴史学者の苦労の一つはそこにある。
歴史はすでに認識である。「歴史認識」とは、認識の認識という無意味な冗語である。この奇妙な冗語には、「正しい」という価値判断が付されることが少なくない。
「正しい歴史認識」という言葉は、その「歴史」がそれを必要とする者によってのみ「正しい」と認識されていることを意味するにすぎない。この表現には、認識を離れて唯一無二の「歴史」が厳然と実在し、それをあるがままに認識すれば自ずと唯一無二の「正しい歴史認識」に到達するはずである、という誤謬とその「歴史」を享受する必要のない人々に対してもかくの如き「歴史認識」を強いるという傲岸とが含まれている。
さらに言えば、1980年代以降東アジアの特定の地域において、この言葉は、客観的な歴史的真実は正しく認識すべきであり、客観的な歴史的真実に対する誤った認識は正されるべきだ、という政治的な、ジャーナリスティックな文脈で使われてきた。ここで、Sir George Clarkの言葉としてしばしば引用される「There is no 'objective' historical truth」という言葉を浅薄に振り回すつもりはない。しかし、「客観的」であるとして語られる「歴史」の危うさに、我々は常に曝されていることを意識すべきである。「歴史」はその本質において主観性への傾きを強く宿していることを、我々は自覚し続けなければならない。
また、歴史認識という言葉はある。あるが、それは、本来、"cognition of history"のことであり、"knowledge and understanding of what history is"を意味する言葉である。かかる意味である以上、それに「正しい」あるいは「誤った」という判断を付すことなど安易にできるはずはない。一部の国の政治部門に関わる者がある特定の意図を以て、客観的妥当性を装うためにこの言葉を用いることは許されるべきではない。
改めて『「客観的な」歴史的真実は存在しない』という言葉の真の意味を考える必要がありはしないか。「歴史とは何か」、己を虚しくして問い直すべきではないのか。
実在したのは、確証を拒むかの如き巨億の「事実」のみである。いったいいつになったら「事実」の実在性の確からしさを虚心に検証することができるようになるのであろうか。もちろん、かの国のことである、「正しい歴史認識」に不都合な史料類はとうに廃棄されてしまっているだろうとは誰しもが思うことだが、一縷の望みを抱きつつ…。
【2012年9月29日】
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翻って考えると、本来「歴史」というものは、ある特定の民族や国家の由来や存立に正統性を与えるべく語られる物語である。ヘロドトスの『ヒストリアイ』、司馬遷の『史記』を嚆矢とする「二十四史」を挙げるまでもない。治者が編む「正史」なるものによる正統性の主張は、自身と被治者にのみ向けられたものであり、ここに言う「正」とはその支配ないし統治の及ぶ範囲に属する者にとってのみ「正」であるにすぎない。客観性あるいは中立性などというものは、「歴史」の本質ではあり得ないとさえ言うこともできよう。
先の「二十四史」に『新元史』『清史稿』を加えて「二十六史」とも称されているが、1961年に中国国民党政権によって『清史稿』の改訂版として『清史』が編纂された。ところが、中国共産党政権はそれを認めず、2013年の完成を目指して独自に『清史』を編纂中であると言う。ここに端的に国家が語る「歴史」における如何ともしがたい相対性が見て取れる。一方の『清史』が誤りであり、他方の『清史』が正しいというものではない。いずれの『清史』もそれぞれの国にとっては「正史」なのである。
歴史的事象について評価ないし解釈が異なるということは避けがたい。或る事象に関して或る認識を持ち、それに基づいて行動する人々が存在し、その結果、或る事象が生起する。他方、それとは異なる認識に基づいて行動する一群の人々も存在し、それとは異なる事象が生成され、連綿と積み上げられていくことがある。その一方の端緒において作為的な虚構が介在したとしても、その「歴史」を語る者がそれを認めて「歴史」を書き改めない限り、その「歴史」を前提にさらなる「歴史」が営々と積み重ねられていく。容易に後戻りなどできようはずはない。「歴史」の相対性の恐ろしさと虚しさがある。
だがしかし、歴史は、一方では、事実にできうる限り寄り添い、実在した事象それ自体にその真実の姿を語らせようとする面をも有する。抜きがたく纏わり付く特定の歴史観にあらがい、それを可能な限り排除しつつ、客観性ないし中立性を志向する歴史も存在する。
ティンパーリーの文章に端を発して歴史的虚構が作り上げられたことを明らかにした北村稔氏のような歴史家もいるのである。また、命を危険にさらしてまでも、自らの民族のためにその歴史と対峙してこられた崔基鎬氏のような孤高の士には頭の下がる思いである。
【2012年11月20日】
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歴史は認識であるなどとは、今更言挙げすることも面映ゆい当たり前のことである。とはいえ、歴史的事象の表象そのものは、もちろん歴史ではない。表象された事象に対して解釈や意味付けを行い、その原因をいずれかに求め、爾後の歴史的影響に何らかの意義を付与するという認識作用を経て「歴史」は形作られる。しかし、それが認識に留まる限りは、ある意味で未だ「歴史」とはいえない。言葉として語られ、文字に表されて、ようやく「歴史」となる。
表現物としての「歴史」は、まさに相対的な存在でしかない。人間の社会に生起する諸事象にも必ずなにがしかの原因が存在するが、その要因ないし遠因は複雑を極め、明晰判明ではありえず、時に不分明で不合理ですらある。それは物理現象を支配する因果律の究明の如くにはいかない。となれば、「歴史」の相対性はいや増さることになる。
ところで、「正しい歴史認識」と言われる場合、この「正しい」は「歴史」にかかるのか、「認識」にかかるのか、いずれであろうか。
「正しい歴史」などと軽々に断ずることは、表現としての「歴史」の相対性からすれば、厳に慎まなければならない。「正しい歴史」などというのは、不遜に過ぎる。「正しい」は、やはり「認識」にかかることになろう。「正しい認識」とは、「正確に知り、理解する」というほどの意味であるとすれば、「正しい歴史認識」とは、表現された「歴史」を「正確に知り、理解する」ことだということになる。この言葉は、そういう意味に限定する限りにおいて、凡庸な当然のことを言っているに過ぎないものとなる。
各々の国は、自国の学校で使用する歴史教科書を英語等の他言語に翻訳し、誰もがそれを閲読できるようウェブサイト等で公開すべきある。日本の外務省は、平成17年8月23日のプレスリリースで中学校歴史教科書の近現代史の一部を中国語および韓国語に翻訳し、民間会社のホームページを通じて公開するとし、英語訳についても、追ってホームページに掲載する予定であるとしているが、英語訳については、平成24年12月7日現在、まだのようである。
外務省には、他国の亀鑑となるべく、一日も早い公開を期待したい。
【2012年12月7日】
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脊椎動物亜門 哺乳綱 霊長目 ヒト科 ヒト属に属する人間という生物は、種々の集団を複層的・重層的に形成して生きる。地縁・血縁を中心とした小さな集団から、言語・習俗・伝統等の文化を共通とする集団、そして国家・民族・人種・宗教といった枠組みを基礎とする、それを構成する個々人の意思とは時として無関係に内にも外にも強大な力を向ける集団等々を幾重にも形成し、その中で生きる他ないのがヒトである。
遺伝子に由来する生物としての記憶に基づいて形成される雌雄一対の集団が最小単位となり、それを核に原初的な集団が営まれる。それら複数の単位集団及びその構成員たる個々人が様々な場で築く関係の深浅濃淡によってさらなる集団が種々形成され、それらが複合して所謂共同体という社会を成立させることにもなる。
共同体に至る諸集団にはある種の連続性が認められ、それらの属性には多くの共通点が存在することは、我々は経験上知悉している。しかしながら、日常的にはその集団性すら意識することのない国家という集団は、遺伝子に由来する生物としての記憶に基づいて自然発生的に形成されてきたというよりも、その多くはむしろ外部的な要因を契機として形成されてきたというのが正しいのかもしれない。国家は共同体以下の諸集団との連続性を有さず、国家とその成員たる個との関係性のみならず、国家間の関係性においても共同体以下の諸集団とのアナロジーは認めるべきではないのかもしれない。たとえ共通する属性があるかに見えても、国家においてはそれは単なる偶有性に過ぎず、本質的なのもとはいえないのであろう。
例えば、規範性について見ても、混乱に乗じて他国の領土を掠め取ったとしても殆ど指弾されることはなく、他国のものを自国のものだと主張しても恥じることはない。「盗む勿かれ」といったおよそ如何なる社会においても疑う余地なく適用されるであろう規範すら、そこでは無価値とも見える。
とはいうものの、たとえ国家であっても、普遍的な規範から完全に自由であるはずもなく、その申し開きとして「歴史」が希求されることになる。正統性(legitimacy)の物語としての「歴史」である。そして、それは正当性(justice)の物語ともなる。
我々は絶えずこのことを意識しつつ、国家が語る自らの「歴史」について考えを巡らさなければならない。
国家ないし歴史については、時を改め、追々論考を深めたいと思う。
【参考文献】
※ 『What Is History?』(1961)、Edward Hallett Carr、Vintage Books(Paperback)
※ 『「南京事件」の探究―その実像をもとめて』(2001年)、北村 稔 著、文春新書
※ 『歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実』(2004年)、崔 基鎬 著、祥伝社黄金文庫
【2013年1月6日】
【参考:「歴史認識」の憂鬱(2)~歴史教科書と原爆資料館、http://blog.phooen.com/blog-entry-69.html】
「歴史認識」という言葉が日本のメディアに頻繁に登場し始めたのはいったいいつ頃であろうか。この言葉を聞いた当初から何とも居心地の悪い、奇妙な表現だと違和感を感じ続けてきた。
歴史は事実それ自体ではない。事実をいくら羅列したところで、歴史にはならない。如何なる事実を選び取るのか、選び取った事実を如何に配置するのか、そこに如何なる解釈を加え、如何なる意味を与えるのか。それら一連の過程が事実を歴史たらしめるのである。歴史を叙する者の目的や必要性が価値の判断基準となり、それらを貫く。その基準の中核をなすものを歴史観と呼ぶことになろうか。
ともかくも、歴史そのものが、まさに認識の所産である。認識が事実を歴史に変えるのである。
もちろん、事実は真実でなければならないが、歴史的事実は複雑極まりないあまたの側面を有し、それら全てが真実であることを確証することは容易ではない。歴史学者の苦労の一つはそこにある。
歴史はすでに認識である。「歴史認識」とは、認識の認識という無意味な冗語である。この奇妙な冗語には、「正しい」という価値判断が付されることが少なくない。
「正しい歴史認識」という言葉は、その「歴史」がそれを必要とする者によってのみ「正しい」と認識されていることを意味するにすぎない。この表現には、認識を離れて唯一無二の「歴史」が厳然と実在し、それをあるがままに認識すれば自ずと唯一無二の「正しい歴史認識」に到達するはずである、という誤謬とその「歴史」を享受する必要のない人々に対してもかくの如き「歴史認識」を強いるという傲岸とが含まれている。
さらに言えば、1980年代以降東アジアの特定の地域において、この言葉は、客観的な歴史的真実は正しく認識すべきであり、客観的な歴史的真実に対する誤った認識は正されるべきだ、という政治的な、ジャーナリスティックな文脈で使われてきた。ここで、Sir George Clarkの言葉としてしばしば引用される「There is no 'objective' historical truth」という言葉を浅薄に振り回すつもりはない。しかし、「客観的」であるとして語られる「歴史」の危うさに、我々は常に曝されていることを意識すべきである。「歴史」はその本質において主観性への傾きを強く宿していることを、我々は自覚し続けなければならない。
また、歴史認識という言葉はある。あるが、それは、本来、"cognition of history"のことであり、"knowledge and understanding of what history is"を意味する言葉である。かかる意味である以上、それに「正しい」あるいは「誤った」という判断を付すことなど安易にできるはずはない。一部の国の政治部門に関わる者がある特定の意図を以て、客観的妥当性を装うためにこの言葉を用いることは許されるべきではない。
改めて『「客観的な」歴史的真実は存在しない』という言葉の真の意味を考える必要がありはしないか。「歴史とは何か」、己を虚しくして問い直すべきではないのか。
実在したのは、確証を拒むかの如き巨億の「事実」のみである。いったいいつになったら「事実」の実在性の確からしさを虚心に検証することができるようになるのであろうか。もちろん、かの国のことである、「正しい歴史認識」に不都合な史料類はとうに廃棄されてしまっているだろうとは誰しもが思うことだが、一縷の望みを抱きつつ…。
【2012年9月29日】
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翻って考えると、本来「歴史」というものは、ある特定の民族や国家の由来や存立に正統性を与えるべく語られる物語である。ヘロドトスの『ヒストリアイ』、司馬遷の『史記』を嚆矢とする「二十四史」を挙げるまでもない。治者が編む「正史」なるものによる正統性の主張は、自身と被治者にのみ向けられたものであり、ここに言う「正」とはその支配ないし統治の及ぶ範囲に属する者にとってのみ「正」であるにすぎない。客観性あるいは中立性などというものは、「歴史」の本質ではあり得ないとさえ言うこともできよう。
先の「二十四史」に『新元史』『清史稿』を加えて「二十六史」とも称されているが、1961年に中国国民党政権によって『清史稿』の改訂版として『清史』が編纂された。ところが、中国共産党政権はそれを認めず、2013年の完成を目指して独自に『清史』を編纂中であると言う。ここに端的に国家が語る「歴史」における如何ともしがたい相対性が見て取れる。一方の『清史』が誤りであり、他方の『清史』が正しいというものではない。いずれの『清史』もそれぞれの国にとっては「正史」なのである。
歴史的事象について評価ないし解釈が異なるということは避けがたい。或る事象に関して或る認識を持ち、それに基づいて行動する人々が存在し、その結果、或る事象が生起する。他方、それとは異なる認識に基づいて行動する一群の人々も存在し、それとは異なる事象が生成され、連綿と積み上げられていくことがある。その一方の端緒において作為的な虚構が介在したとしても、その「歴史」を語る者がそれを認めて「歴史」を書き改めない限り、その「歴史」を前提にさらなる「歴史」が営々と積み重ねられていく。容易に後戻りなどできようはずはない。「歴史」の相対性の恐ろしさと虚しさがある。
だがしかし、歴史は、一方では、事実にできうる限り寄り添い、実在した事象それ自体にその真実の姿を語らせようとする面をも有する。抜きがたく纏わり付く特定の歴史観にあらがい、それを可能な限り排除しつつ、客観性ないし中立性を志向する歴史も存在する。
ティンパーリーの文章に端を発して歴史的虚構が作り上げられたことを明らかにした北村稔氏のような歴史家もいるのである。また、命を危険にさらしてまでも、自らの民族のためにその歴史と対峙してこられた崔基鎬氏のような孤高の士には頭の下がる思いである。
【2012年11月20日】
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歴史は認識であるなどとは、今更言挙げすることも面映ゆい当たり前のことである。とはいえ、歴史的事象の表象そのものは、もちろん歴史ではない。表象された事象に対して解釈や意味付けを行い、その原因をいずれかに求め、爾後の歴史的影響に何らかの意義を付与するという認識作用を経て「歴史」は形作られる。しかし、それが認識に留まる限りは、ある意味で未だ「歴史」とはいえない。言葉として語られ、文字に表されて、ようやく「歴史」となる。
表現物としての「歴史」は、まさに相対的な存在でしかない。人間の社会に生起する諸事象にも必ずなにがしかの原因が存在するが、その要因ないし遠因は複雑を極め、明晰判明ではありえず、時に不分明で不合理ですらある。それは物理現象を支配する因果律の究明の如くにはいかない。となれば、「歴史」の相対性はいや増さることになる。
ところで、「正しい歴史認識」と言われる場合、この「正しい」は「歴史」にかかるのか、「認識」にかかるのか、いずれであろうか。
「正しい歴史」などと軽々に断ずることは、表現としての「歴史」の相対性からすれば、厳に慎まなければならない。「正しい歴史」などというのは、不遜に過ぎる。「正しい」は、やはり「認識」にかかることになろう。「正しい認識」とは、「正確に知り、理解する」というほどの意味であるとすれば、「正しい歴史認識」とは、表現された「歴史」を「正確に知り、理解する」ことだということになる。この言葉は、そういう意味に限定する限りにおいて、凡庸な当然のことを言っているに過ぎないものとなる。
各々の国は、自国の学校で使用する歴史教科書を英語等の他言語に翻訳し、誰もがそれを閲読できるようウェブサイト等で公開すべきある。日本の外務省は、平成17年8月23日のプレスリリースで中学校歴史教科書の近現代史の一部を中国語および韓国語に翻訳し、民間会社のホームページを通じて公開するとし、英語訳についても、追ってホームページに掲載する予定であるとしているが、英語訳については、平成24年12月7日現在、まだのようである。
外務省には、他国の亀鑑となるべく、一日も早い公開を期待したい。
【2012年12月7日】
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脊椎動物亜門 哺乳綱 霊長目 ヒト科 ヒト属に属する人間という生物は、種々の集団を複層的・重層的に形成して生きる。地縁・血縁を中心とした小さな集団から、言語・習俗・伝統等の文化を共通とする集団、そして国家・民族・人種・宗教といった枠組みを基礎とする、それを構成する個々人の意思とは時として無関係に内にも外にも強大な力を向ける集団等々を幾重にも形成し、その中で生きる他ないのがヒトである。
遺伝子に由来する生物としての記憶に基づいて形成される雌雄一対の集団が最小単位となり、それを核に原初的な集団が営まれる。それら複数の単位集団及びその構成員たる個々人が様々な場で築く関係の深浅濃淡によってさらなる集団が種々形成され、それらが複合して所謂共同体という社会を成立させることにもなる。
共同体に至る諸集団にはある種の連続性が認められ、それらの属性には多くの共通点が存在することは、我々は経験上知悉している。しかしながら、日常的にはその集団性すら意識することのない国家という集団は、遺伝子に由来する生物としての記憶に基づいて自然発生的に形成されてきたというよりも、その多くはむしろ外部的な要因を契機として形成されてきたというのが正しいのかもしれない。国家は共同体以下の諸集団との連続性を有さず、国家とその成員たる個との関係性のみならず、国家間の関係性においても共同体以下の諸集団とのアナロジーは認めるべきではないのかもしれない。たとえ共通する属性があるかに見えても、国家においてはそれは単なる偶有性に過ぎず、本質的なのもとはいえないのであろう。
例えば、規範性について見ても、混乱に乗じて他国の領土を掠め取ったとしても殆ど指弾されることはなく、他国のものを自国のものだと主張しても恥じることはない。「盗む勿かれ」といったおよそ如何なる社会においても疑う余地なく適用されるであろう規範すら、そこでは無価値とも見える。
とはいうものの、たとえ国家であっても、普遍的な規範から完全に自由であるはずもなく、その申し開きとして「歴史」が希求されることになる。正統性(legitimacy)の物語としての「歴史」である。そして、それは正当性(justice)の物語ともなる。
我々は絶えずこのことを意識しつつ、国家が語る自らの「歴史」について考えを巡らさなければならない。
国家ないし歴史については、時を改め、追々論考を深めたいと思う。
【参考文献】
※ 『What Is History?』(1961)、Edward Hallett Carr、Vintage Books(Paperback)
※ 『「南京事件」の探究―その実像をもとめて』(2001年)、北村 稔 著、文春新書
※ 『歴史再検証 日韓併合―韓民族を救った「日帝36年」の真実』(2004年)、崔 基鎬 著、祥伝社黄金文庫
【2013年1月6日】
【参考:「歴史認識」の憂鬱(2)~歴史教科書と原爆資料館、http://blog.phooen.com/blog-entry-69.html】
tag : 歴史認識