国の在り様~中国・北朝鮮~
一、
2011年7月23日に中国で起こった高速鉄道の衝突事故の報道に興味を引かれた。
事故後、直ぐに事故車両を埋めて証拠隠滅を図っていたが、中国では特に珍しいことではない。
当局の事故後の対応の不手際に、さらには、事故の遠因に、権力闘争が絡んでいるとの見方もある。江沢民を領袖とする上海閥が牛耳っている鉄道省は、胡錦濤にとっては御しがたい存在らしい。とはいえ、長らく続いた胡錦濤と江沢民との権力闘争も、つい最近江沢民の死亡記事が中国の一部のメディアにも出たところを見ると、終焉を迎えつつあり、舞台の中心は江とつながりをもつ習近平と胡錦濤との闘争へと移ってきているようである。
しかし、尖閣諸島の問題に対する中国の動向には、十分に注意を払う必要があろうが、中国のこのような内部事情にはさして興味はない。
興味を覚えたのは、このような重大な事故が起こった場合、これまでは新華社通信が配信した原稿をそのまま掲載していた中国のメディアの多くが、今回の事故に関しては独自の取材をもとに記事を書いており、中には当局に対して厳しい批判を展開するメディアもある、という報道である。被害者や遺族が当局者に対して不満をぶちまけている姿が、連日海外のメディアにも流れた。共産党中央宣伝部からの圧力が強まり、1週間ほどでこの事故に関する記事はほとんど見られなくなったというが、ウェブ上でその圧力に屈せざるをえなかった苦渋を滲ませる書き込みを行っているメディアもあるという。さらに、温家宝が現場を訪れ、徹底的な原因究明と被害者への十分な補償を行うと言明したことから、これ以上批判を続けることは中国のメディアでは、やはり難しいようである。
とはいうものの、このような当局への批判が、かの国のメディアでなされることは、極めて稀なことである。おそらくインターネットの急速な普及が関係しているのであろう。
事故車両を埋めている映像が、即日ネットを通じて世界中に流され、この事故に関するネットへの書き込みが、1日数千万件にものぼったという。インターネットなくしてもはや中国の経済も成り立たなくなっている以上、全てを遮断することはできず、さりとて現体制に、現政権に不都合なサイトや書き込みだけを選択的に閉鎖ないし削除すること、又はそれらへのアクセスを不能にすることは、実際上困難になってきているのか、あるいはそれが可能であっても、書き込みが事故に関する不平不満に留まる限り、ガス抜きとして放置することにしているのか、はたまた鉄道省を牽制するために、胡錦濤派が鉄道省への限定的な批判に書き込みを誘導しつつ黙認しているのか。いずれにしろ、こうした中で、いかに中国のメディアであっても、お上から下達された意向をそのまま伝えるだけでは済まなくなった、ということなのであろう。
かつて、国境を越えて流れてくる隣国のTVやラジオの電波を通じて、世界の情勢について統制されていない情報を得ていた国民の手によって崩壊したルーマニアのチャウシェスク政権の例が、自ずと思い出されるが、それとは比較にならぬほど複雑で巨大な国家である中国は、そう単純には行かないであろう。
現体制の崩壊とそれに伴う混乱を望まぬ富裕層が、急激に増えつつあることも事実である。
最近の中国の民主化運動は、昨年暮れから年明けにかけて起こったチュニジアの「ジャスミン革命」になぞらえて「中国ジャスミン革命」を目指していると囁かれているが、中国版ツイッター「新浪微博」等を通じてなされる反体制運動への呼びかけに対しては、徹底的に検閲が行なわれていると言われている。検索サービスを中国から撤退させたグーグルは、中国政府から幾度となく検閲を要求され、果ては組織的なサイバー攻撃を受けたとされる。ノーベル平和賞が贈られた劉暁波を投獄し続けていようが、恬として恥じることのない中国政府のこと、さもありなん、である。
しかしながら、かの国の共産党独裁体制が、遠からず大きな変容を迫られるであろうことは、想像に難くない。
二、
ところで、もう一つの厄介な共産主義独裁国家である北朝鮮について思い出したことがある。
2002年、瀋陽の日本総領事館に子どもを含む5名の脱北者が亡命目的で逃げ込もうとしたが、、中国の武装警察官が領事館の敷地に立ち入って彼等を取り押さえ、連行したという例の事件である。脱北者の駆け込み亡命を支援するグループによって一部始終が撮影され、その映像は、連日TVで流された。
この事件については、専門家らによる種々の解説や見解を耳にし、目にした。
亡命の成否、領事館員の対応の是非、中国武装警察の行為についてのウィーン条約上の解釈、亡命を支援するグループの活動の当否、この事件が今後の脱北希望者へ与える影響等々。
しかし、そういった論評に対する判断以前に、あの映像を見た時、原初的な素朴な思いにとらわれた。或る国の国民が他の国への移住を望む場合に、命を賭して他国の大使館へ逃げ込む以外にとりうる手段がないという国の存在そのものの異様さである。かつて、所謂「岩波文化人」や朝日新聞がこぞって「地上の楽園」と称賛した国のそのような在り方に、改めて憤りを感じずにはいられなかった。金賢姫らによる大韓航空機爆破事件の時にも、そしてその後の拉致被害者の帰国の時にも感じた言い知れぬ不快さと共に。
安明哲を始めとする脱北者や金賢姫の著作に描かれている俄には信じ難いおぞましい姿をした「地上の楽園」は、今もなおこの地上に存在し、今後も金一族の所有物として存在し続けようとしている。
【2011年8月4日】
2011年7月23日に中国で起こった高速鉄道の衝突事故の報道に興味を引かれた。
事故後、直ぐに事故車両を埋めて証拠隠滅を図っていたが、中国では特に珍しいことではない。
当局の事故後の対応の不手際に、さらには、事故の遠因に、権力闘争が絡んでいるとの見方もある。江沢民を領袖とする上海閥が牛耳っている鉄道省は、胡錦濤にとっては御しがたい存在らしい。とはいえ、長らく続いた胡錦濤と江沢民との権力闘争も、つい最近江沢民の死亡記事が中国の一部のメディアにも出たところを見ると、終焉を迎えつつあり、舞台の中心は江とつながりをもつ習近平と胡錦濤との闘争へと移ってきているようである。
しかし、尖閣諸島の問題に対する中国の動向には、十分に注意を払う必要があろうが、中国のこのような内部事情にはさして興味はない。
興味を覚えたのは、このような重大な事故が起こった場合、これまでは新華社通信が配信した原稿をそのまま掲載していた中国のメディアの多くが、今回の事故に関しては独自の取材をもとに記事を書いており、中には当局に対して厳しい批判を展開するメディアもある、という報道である。被害者や遺族が当局者に対して不満をぶちまけている姿が、連日海外のメディアにも流れた。共産党中央宣伝部からの圧力が強まり、1週間ほどでこの事故に関する記事はほとんど見られなくなったというが、ウェブ上でその圧力に屈せざるをえなかった苦渋を滲ませる書き込みを行っているメディアもあるという。さらに、温家宝が現場を訪れ、徹底的な原因究明と被害者への十分な補償を行うと言明したことから、これ以上批判を続けることは中国のメディアでは、やはり難しいようである。
とはいうものの、このような当局への批判が、かの国のメディアでなされることは、極めて稀なことである。おそらくインターネットの急速な普及が関係しているのであろう。
事故車両を埋めている映像が、即日ネットを通じて世界中に流され、この事故に関するネットへの書き込みが、1日数千万件にものぼったという。インターネットなくしてもはや中国の経済も成り立たなくなっている以上、全てを遮断することはできず、さりとて現体制に、現政権に不都合なサイトや書き込みだけを選択的に閉鎖ないし削除すること、又はそれらへのアクセスを不能にすることは、実際上困難になってきているのか、あるいはそれが可能であっても、書き込みが事故に関する不平不満に留まる限り、ガス抜きとして放置することにしているのか、はたまた鉄道省を牽制するために、胡錦濤派が鉄道省への限定的な批判に書き込みを誘導しつつ黙認しているのか。いずれにしろ、こうした中で、いかに中国のメディアであっても、お上から下達された意向をそのまま伝えるだけでは済まなくなった、ということなのであろう。
かつて、国境を越えて流れてくる隣国のTVやラジオの電波を通じて、世界の情勢について統制されていない情報を得ていた国民の手によって崩壊したルーマニアのチャウシェスク政権の例が、自ずと思い出されるが、それとは比較にならぬほど複雑で巨大な国家である中国は、そう単純には行かないであろう。
現体制の崩壊とそれに伴う混乱を望まぬ富裕層が、急激に増えつつあることも事実である。
最近の中国の民主化運動は、昨年暮れから年明けにかけて起こったチュニジアの「ジャスミン革命」になぞらえて「中国ジャスミン革命」を目指していると囁かれているが、中国版ツイッター「新浪微博」等を通じてなされる反体制運動への呼びかけに対しては、徹底的に検閲が行なわれていると言われている。検索サービスを中国から撤退させたグーグルは、中国政府から幾度となく検閲を要求され、果ては組織的なサイバー攻撃を受けたとされる。ノーベル平和賞が贈られた劉暁波を投獄し続けていようが、恬として恥じることのない中国政府のこと、さもありなん、である。
しかしながら、かの国の共産党独裁体制が、遠からず大きな変容を迫られるであろうことは、想像に難くない。
二、
ところで、もう一つの厄介な共産主義独裁国家である北朝鮮について思い出したことがある。
2002年、瀋陽の日本総領事館に子どもを含む5名の脱北者が亡命目的で逃げ込もうとしたが、、中国の武装警察官が領事館の敷地に立ち入って彼等を取り押さえ、連行したという例の事件である。脱北者の駆け込み亡命を支援するグループによって一部始終が撮影され、その映像は、連日TVで流された。
この事件については、専門家らによる種々の解説や見解を耳にし、目にした。
亡命の成否、領事館員の対応の是非、中国武装警察の行為についてのウィーン条約上の解釈、亡命を支援するグループの活動の当否、この事件が今後の脱北希望者へ与える影響等々。
しかし、そういった論評に対する判断以前に、あの映像を見た時、原初的な素朴な思いにとらわれた。或る国の国民が他の国への移住を望む場合に、命を賭して他国の大使館へ逃げ込む以外にとりうる手段がないという国の存在そのものの異様さである。かつて、所謂「岩波文化人」や朝日新聞がこぞって「地上の楽園」と称賛した国のそのような在り方に、改めて憤りを感じずにはいられなかった。金賢姫らによる大韓航空機爆破事件の時にも、そしてその後の拉致被害者の帰国の時にも感じた言い知れぬ不快さと共に。
安明哲を始めとする脱北者や金賢姫の著作に描かれている俄には信じ難いおぞましい姿をした「地上の楽園」は、今もなおこの地上に存在し、今後も金一族の所有物として存在し続けようとしている。
【2011年8月4日】